杉本美術館へ行ってきました

「杉本美術館」は、杉本健吉画伯から作品の寄贈をうけ、昭和62年愛知県知多郡美浜町に開館しました。
 杉本画伯は、この美術館の地下のアトリエで、晩年まで作品を描いていたとのことです。

 杉本美術館は緑に囲まれた美しい美術館ですが、訪れた日は工事中で、本館の大部分が覆われて見えなかったのでちょっと残念でした。
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杉本美術館パンフレットより

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本館と新館の渡り廊下


 杉本健吉(1905年ー2004年)は旧制愛知県立工業学校(現・愛知県立愛知工業高等学校)図案科を卒業後、グラフィックデザイナーとして多くの仕事を手がけました。名古屋市営地下鉄のマーク、名古屋鉄道や青柳ういろうの社章などが画伯の作品であることはよく知られています。
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名古屋市の市章○八をもとにデザインされた名古屋市営地下鉄のマーク

 美術館にはこれらグラフィックデザイナーとしての作品、小学生時代の油彩画、高校生時代の作品、洋画作品、絶賛された吉川英治作の「新・平家物語」・「私本太平記」の挿絵など、多様な作品が展示されており、とても楽しい時間を過ごすことができました。
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昭和25年から32年まで週刊朝日で連載された「新・平家物語」の挿絵


 また、四天王寺絵堂に奉納した「聖徳太子御絵伝障壁画」 (聖徳太子の一生が年代別に描かれた絵伝)の習作が数多く展示されていて、とても見ごたえがありました。

 そして印象に残ったエピソードを2つ。
 1つ目は、奈良で交流があった志賀直哉からの激励の書簡です。
「杉本健吉君は日展で続けて賞を貰い、急に世間に認められ、挿絵に装丁に今は流行児になっている。・・・今までの絵は世間的に認められるに丁度いいうまさに達したというに過ぎない・・・」

 杉本画伯は自分でもこの「今までの絵は世間的に認められるに丁度いいうまさに達したというに過ぎない」という個所を書き写し、アトリエに掲げ戒めとしたとのことです。

 2つ目は、84歳の時に右手を骨折して利き手で絵が描けなかった時期のことです。最初はかなり落ち込んだようですが、しばらくすると、利き手では描くことができない面白さがあると、左手での作品制作を楽しみ始めます。遊び心も満載で、この時期の作品には「健吉」ではなく「左吉」のサインや落款が記されています。

 なかなか、楽しい美術館でした。
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レクチャールームから伊勢湾を望む



 美術館の周辺観光としては”恋人の聖地”と言われる「野間の灯台」や無料でえびせんべいやコーヒー・お茶を飲食できる人気の「えびせんべいの里 美浜本店」などがあります。

 ちょっと足をのばすと、SKE48の歌碑が建てられている知多半島・最南端の「羽豆岬」があり、羽豆神社と続く羽豆岬の展望台からは渥美半島から伊勢志摩まで一望できます。
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羽豆岬の歌碑(2016年6月撮影)


 杉本美術館:公式Webサイト




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